観光・お出かけ

伊勢神宮に続く伊勢街道沿の松浦武四郎誕生地は当時の生活を見ることが出来る建物

北海道の名付け親である松浦武四郎記念館を見学したら、そのまま徒歩圏内にある松浦武四郎誕生地へ合わせて行く事をオススメします。

松浦武四郎と松浦武四郎記念館についてはこちらへ

松浦武四郎記念館には、北海道の名付け親松浦武四郎が全国を歩いた探検家としての多くの資料が残る松阪市の誇る偉人 松浦武四郎記念館へ行ってきました。 漠然と北海道の名付け親であるって知識しかありませんでしたが、なぜ北海道を調査...

松浦武四郎誕生地とは

松浦武四郎誕生地は、北海道の名付け親とされる松浦武四郎の実家で、現在は松阪市の所有になっています。
1962年(昭和37年)に当時の三雲村が史跡に指定した場所で、松阪市指定史跡にも認定されています。

四番目に生まれた子で、家は兄が跡を継いだため、28歳で蝦夷地の調査をする頃から江戸に拠点を置き、1888年(明治21年)に、71歳で東京で亡くなった後、武四郎直系の子孫は東京で暮らしています。
家の前の道は伊勢街道と呼ばれ、南に行けば伊勢神宮へ、北へ行けば四日市の日永で江戸と京都を結ぶ東海道につながっていたので、伊勢神宮へのお参りの旅人が多く行き交った道でした。

松浦武四郎記念館から松浦武四郎誕生地へは徒歩7分ぐらいなので、記念館の駐車場に車を停めて、伊勢街道を散策して向かうのも良い雰囲気ですよ。
伊勢街道沿いのお店や家には、過去のお店の屋号の看板が掲げてあります。

松浦武四郎誕生地ってどこにあるの(アクセス)

松浦武四郎誕生地は、平成の大合併により、1市(松阪市)4町(嬉野町、三雲町、飯南町、飯高町)が平成17年1月1日に合併しました。その中の、旧一志郡三雲町と呼ばれる地域にあり、松阪市でも、三重県の県庁所在地である津市寄りにある町にあります。

車でのアクセス

高速でやってくると伊勢自動車道一志嬉野インターを降りるルートが一番近いです。
だいたい15分程度を見ておいて下さい。
国道23号線からくると分かりやすい立地ですが、カーナビを使うことをオススメします。
松浦武四郎記念館から徒歩で景観を楽しみながらがオススメですが、車で行く場合は伊勢街道はちょっと狭いので注意していってください。

公共交通機関でのアクセス

三雲地域コミュニティバス「たけちゃんハートバス」
伊勢中川駅東口ロータリーから、五主行きで「松浦武四郎誕生地前」下車すぐ。
所要時間 約12分

※ただし、平日のみで土日祝日及び年末年始(12月30日~1月4日)は運行してないので注意して下さいね。

徒歩でのアクセス

伊勢中川駅より徒歩50分となかなかかかるので、オススメはしませんが歩けない距離ではありません。平日なら上記のバスを利用するのが良いと思います。

松浦武四郎誕生地について基本的なこと

松浦武四郎記念館の入館料は、大人(19歳以上)100円18歳以下は無料です。
あと、松浦武四郎記念館、松浦武四郎誕生地との共通入館券がセットで大人は350円6歳以上18歳以下は誕生地は無料ですので200円でそのままです。
休館日は月曜日祝日の翌日12月29日~1月3日

名称 松浦武四郎誕生地
住所 三重県松阪市小野江町321
電話番号 0598-21-4331
開館時間 9:30~16:30
閉館日 月曜日(ただし、祝日の場合翌火曜日)、12月29日~1月3日
入館料 大人(19歳以上) 100円
松浦武四郎記念館・誕生地共通入館券 19歳以上 350円
サイト https://takeshiro.net/

松浦武四郎誕生地を見学(写真で案内)

松浦武四郎記念館からは、1kmないぐらいで徒歩7分程度の程よい距離の散歩です。
伊勢街道を歩いていると、左手に松浦武四郎誕生地の駐車場があります。
結構、広めのスペースをとってあり、奥に5台駐車できます。

あと、手前に思いやり駐車場が1台分あります。

あまり一度に混み合うってことはないのでこれぐらいあれば十分かな?

看板には、周辺の松浦武四郎のゆかりのある場所が掲載されています。

伊勢街道には、昔のお店があった場所には当時の屋号の看板が設置してあります。
これも見て歩くと、面白いなぁ。
こんなにお店があったんやって思う。

駐車場から、目と鼻の先に松浦武四郎誕生地が見えてきます。
家の前の看板には、2018年(平成30年)の、生誕200年を迎えるのに合わせて、史跡整備を進め、明治維新直前に作られた家相図に基づき、武四郎が生きた時代の建物構成である、「主屋」、「離れ」の保存修理と、土蔵2棟と納屋の補強工事を行いました。

ちなみに、こちらが家(史跡)の平面図になります。
左が主屋で、右側には立派な改修された門があります。

正面からの写真は、七夕の笹が設置されており、ちょっと絵にならんのが残念すぎる。
本当はもっと歴史を感じれそうなたたずまいなんですが。
入り口横には三雲村指定史跡 松浦武四郎誕生地の石碑がたっています。

主屋(しゅおく・おもや)

主屋は、松浦家の生活の中心となる建物で、もともとは松島屋善兵衛の家でしたが、1841年(天保12年)頃に武四郎の家族が移り住みました。
両親と松浦武四郎と他3人の子供が住んでいました。ほとんどの部分が建築当初のままでしたが、住みやすいように増改築が繰り返されました。

幕末の家相図に基づき、かまどを再現し、現在の姿になっています。
部屋は、3畳×2、4畳、4畳半×2、5畳半、6畳×2の8部屋あり、かなり立派な家計やったことが分かります。

入り口入ってすぐ左には作品展で、小物や手提げ袋などが展示されています。

地域サークルなんかで作ったものかとは思われますが、ちょっと民家の雰囲気をはかけ離れてしまうのが少し残念かなぁ。
座敷にあがると、キレイな畳でと立派な床の間があります。

歴史のありそうな小さな屏風?

と思ったら、永遠のニシパってNHKドラマのこと書いてあるから最近のものやね。

かけじくは、斜路湖を船で湖中見物し、東岸を廻っている時に詠った一首「汐ならぬ 久寿里の湖に舟うけて 身も若がへる こゝちこそすれ」が書かれています。

読めんけども立派な書もありました。

畳部屋は7部屋ありますが、特にかわった部屋はなくってオーソドックスな和室です。
この北海道の書道は松浦武四郎の書なんかな?

昔の家にはやっぱり縁側が必要不可欠。
部屋からは、キレイに整備された庭を眺めることができますよ。
一番奥の部屋では、テレビが設置してあり、松浦武四郎の紹介映像が見れるようになっています。

立派な梁が天井をとおっており、これがまた重厚感を感じることができます。

まっすぐ土間を進むと台所スペースになっています。
大小の釜が並んでいますが、当時のものではなくって明らかに改修した感じで新しいです。

あと昔の皿などの容器も棚に並んでいますが、ちょっと無造作感があり。

ちなみに台所の釜の奥には大き目の木の桶が設置してありますが、これがお風呂です。

横で質問している方のお話を盗み聞きしてたわけですが、釜で温めたお湯をすぐ、お風呂に入れてそこに入るんですって。
なるほどなるほど、そう考えると水まわりが近くに必要な理由が分かりますね。
脱衣場なんかはなかったってことかなぁ。
台所から裏庭に出たところに井戸があり、ここから調理用の水を調達してました。

北海道には、松浦武四郎の記念碑が多くたっています。

ほぼほぼ北海道一帯にあるですから、この功績って凄すぎですよね。

離れ

主屋を出て左側に進むと、離れがあります。

お客さんが来た時にもてなす場所で、1867年(慶応3年)頃に完成した建物です。
主に伊勢神宮をお参りする知人、友人が泊まっていました。

玄関で靴を脱いで中に入っていきます。

左側には松浦の家門が入ったかわらが展示してありました。

正面には2間続きの和室があり、左手にも小さな和室で、全部で3部屋あります。

左手の和室には、懐かしいちゃぶ台と何かのパネル。

どうやら伊勢弁(松阪弁)での案内文。
まぁ当時はそうやったのか、崩して寄せすぎな気もしつつ当時はそうやったんかな?

伊勢弁って語尾とか「なーなー」言うて、あんまりいいイメージがなくって使わんようにはしてるんさ。

奥の部屋はめっちゃ絵になる。

畳も新しくってイグサの良い香りがしますし、気持ちの良い風も抜けていきます。
思いっきり寝転びたい~。

ただし、目の前の床の間には松浦武四郎の木彫りの上半身の像がこっちを見てます。

ほぼ、白目でちょっと怖いんですが・・・・。

松浦武四郎がお祝いとして、当時の著名な画家や書道家が寄せ書きをした襖絵を贈っているので飾られています。

あとは、これは囲炉裏かと思っていましたが、違うようで、何か分からんので分かる方教えてください。

部屋の左右に縁側があって、庭を見ることが出来ます。

左側には、立派な木々の緑と石。

ちょっとおいそそうな苔感の強いものも

右側には、武四郎の建てた灯篭があります。

土蔵一

明治時代初期に建てられた、松浦武四郎に関係する資料が多く保管されていました。
白と木の色のコントラストがなんとも蔵って感じの雰囲気。

右側の白い部分の変色が歴史を感じます。
柵に囲まれており、残念ながら中は見学することが出来ません。

土蔵二

土蔵一の隣にあって、ここにも松浦武四郎に関係する資料が保管されていました。

土蔵で保管されていた松浦武四郎関係資料が、当時の三雲町で寄贈されて、1994年(平成6年)に松浦武四郎記念館が開館しました。
こちらの方が痛みがきているように感じます。
当時の瓦も、ストックなのか残されています。家門も入っているものもあって貴重ですよね。

納屋

農具や釜、桶などの生活道具が収納されていました。

お米を保管しておく場所でもあり、米蔵と呼ばれていました。
かなり大きな建物です。

あと、この施設で一番立派な建物はトイレ。

凄くきれいなんで、心配要りません。
あと裏庭がめちゃくちゃ広いですね~。

近隣の家の方って、施設と家が隣り合っているのでちょっと嫌でしょうね。

まとめ

松浦武四郎誕生地は、松浦武四郎記念館から徒歩7分程度なので歩いて伊勢街道の雰囲気を味わって向かうのがオススメです。
もちろんあ歩くのが大変な場合は車で行っても駐車場完備です。
松浦武四郎の実家は、昔ながらの農家で立派な家で、当時の生活の風景を垣間見ることができます。ただし、少し、改修しすぎてキレイになりすぎているかな?
古民家の雰囲気を味わいつつ、のんびり見学が出来ました。
帰りに、七夕の短冊に願いを書いて帰ってきました。

叶うかな?

松阪市の偉人 松浦武四郎がドラマ化、、、主演はまさかの嵐の松本潤!?松阪市の誇る偉人と言えば、北海道の名付け親でもある松浦武四郎ですよね。 三重県での知名度よりも、北海道が圧倒的かとは思いますが、僕も名...
松阪市の本居宣長記念館では、古事記伝を初めとして本居宣長について全てを知ることができる松阪市に住んでいたら本居宣長って名前を聞かないことはないと思います。 が、、、、実は何をしていた人かさえ知らなかったのが本音。 ...
古事記伝の本居宣長が生涯すごした本居宣長旧宅(鈴屋)は当時の生活を思い浮かべることができる本居宣長記念館に隣接して、医者・国学者であった本居宣長の旧宅があり、2階にあった書斎を鈴屋と呼んでいました。 書斎は、53歳の時に物置...
本居宣長旧宅跡は古事記伝が生まれた本当の場所で、建物は松阪城敷地内に移転されてます松阪を代表する医者・国学者である本居宣長。 住んでいた家は、松阪城跡の隠居丸に移築する前の本居宣長旧宅跡は本来の場所です。 今は、平...
本居宣長奥墓(おくつき)は、山室町の松阪ちとせの森の山頂にある神聖な場所松阪を代表する医者・国学者である本居宣長。 松阪市内には、本居宣長の関連する施設がいろいろあります。 他の施設は集中してありますが、...