公園

三重県松阪市にある宝塚古墳公園は日本でも有数の多くの埴輪(レプリカ)が並ぶ大人向けの公園

松阪市には中部台公園を初めとして、複数の公園があって子供のころからお世話になっています。

ただ市街地から少し離れたところに宝塚古墳公園と呼ばれる公園があるのですが、長年、松阪に住んでいながら存在は知っていたものの行ったことはありませんでした。
という訳でどんなところで、何があるのかって興味本位ですが、古墳は絶対ありますよね。

宝塚古墳公園とは

宝塚古墳公園は、1号墳と2号墳からなり、1932年(昭和7年)に国史跡に指定され、2006年(平成18年)には国重要文化財にしてされました。
昔は、周辺にも何十個もの古墳がありましたが、開発などによりほとんどがなくなってしまいました。

1999年(平成11)から、保存・整備の為、松阪市が発掘調査を行ったところ、1号墳で姿をとどめた船形(ふねがた)埴輪が発見され、全国的に注目を集め、古墳時代を研究するうえで貴重な資料となりました。

ちなみに古墳時代とは、今から1700年前ぐらいから各地で古墳がつくられるようになりました。
古墳とは、土を盛りあげてつくった墓のことをいい、地域の王や指導者やその一族など位の高い人が葬られました。
各地には大小さまざまな古墳が多くつくられ、その300年ほどを古墳時代と呼んでいます。
その中で、古墳づくりには多く人が参加し、実際に様々な儀式が行われ、死者とともに道具やアクセサリーなども納められました。

では、実際に誰が葬られたのかって分かっていないんです。
ただ、古墳の形は、葬られた人物の力の大きさによって決まっていたと考えられているんです。
この、宝塚1号墳は、古墳時代の全時期を通して伊勢国の中でも最大の前方後円墳で、伊勢の王墓としては他とは比べ物にならないる規模なんだそうです。

また、前方後円墳をつくることができたのは、ヤマト王権とそれに関係する限られた人物であったと考えられており、近畿地方から東国への玄関口にあたる伊勢湾西岸の広い範囲を支配する立場にあった人物と推定されています。
宝塚2号墳は、宝塚1号墳の後継者と推定できます。

古墳の名称については、三重県を代表する郷土史家  鈴木敏雄氏が実施した、南郡花岡村(当時)遺跡調査の際、村人から聴き取った「宝塚」が古墳の名称となりました。

宝塚古墳公園ってどこにあるの(アクセス)

宝塚古墳公園は、交通の便があまり良くないので、車で行くのがオススメ。
普段からそれほど人も多くないのと、駐車場も多いので問題なく駐車できます。
という訳で、各交通手段でのアクセスは下記の通りです。

・車でのアクセス

伊勢自動車道松阪インターを降り、最初の交差点(松阪インター入り口)を右折し、そのまま道なりに直進し、ホルモン一平がある突き当りの交差点(丹生寺町)を左折し、田村町の交差点(ル・フラン美容室)を右折して、大久保クリニック、ファミリーマートがある交差点(宝塚町)の交差点を越えてすぐ右折したところにあります。

駐車場は第1駐車場、第2駐車場があります。
宝塚町の交差点で曲がるのが分かりやすいのですが、第1駐車場には入れませんので、第2駐車場に駐車することになります。
第1駐車場に入るには、ファミリーマートの前に入り口があるので、そこから入って下さい。
宝塚1号墳には第1駐車場、宝塚2号墳には第2駐車場が近いです。
第1駐車場の方は舗装してあって、第2駐車場は未舗装です。

こちが第1駐車場
これが第2駐車場

公共交通機関でのアクセス

市街地循環バス「鈴の音バス」

近鉄・JR松阪駅から市街地循環線右回りで「宝塚古墳公園前」下車して徒歩5分。
所要時間 約25分 小学生以上100円

徒歩でのアクセス

近鉄松阪駅、JR松阪駅より徒歩45分

ウォーキングと考えたら行けるが、現実的ではないかも

宝塚古墳公園について基本的なこと

宝塚古墳公園は公園なので基本的には24時間あいています。
同様に休園日はなくいつでも利用できます。

名称 宝塚古墳公園
住所 三重県松阪市宝塚町120−1。
電話番号 0598-26-7330(松阪市文化財センター)
開園時間 24時間
閉園日 年中無休
サイト なし

宝塚古墳公園を見学(写真で案内)

それでは公園内に入っていきます。
花が植えられており、凝ってて、ここで出土した船形(ふねがた)埴輪の形にしています。

歴史の道

こちらが園内のレイアウトです。

宝塚1号墳も宝塚2号墳も両方、途中で車道を渡るので注意して下さいね。
あと、注意書きも確認!!!

インバウンド対応も完璧!!

キレイなトイレも完備、多目的トイレもありますよ。

宝塚1号墳に向かって真っ直ぐにのびるメインロードを歩いていきます。

この道を「歴史の道」と呼び、埴輪のレプリカの看板が設置してあります。
順番に読んでいくと

①現在の松阪
平成17年1月1日、松阪市・一志郡嬉野町・一志郡三雲町・飯南郡飯南町・飯南郡飯高町が合併し、新しい「松阪市」が誕生

②近代の松阪(明治から昭和はじめ)
行政面では市制及び町村制が施行され、産業では錦糸・製茶・水力電気・製塩等をはじめ、鉄道・学校・政治・経済・教育・交通機関の近代化が図られました。

近代化遺産の例です。

③近世の松阪(室町後期~江戸)1
松阪地域が小牧・長久手の戦いの後、近江日野城主の蒲生氏郷が12万石で松ヶ島の領主になります。氏郷は、海に近い松ヶ島から拠点を移し、平野の中央部にある独立丘陵に築城し、街道を引き込み、その周辺に新たなまちづくりを行いました。それが今の松阪城跡と現在の松阪中心市街地です。

④近世の松阪(室町後期~江戸)2
江戸時代の松阪は、宿場町、商人の町として自立発展します。「江戸店待ち京商人」を目指した三井や富山、家城のような呉服商、三井、竹川、中川のような両替商(幕府御為替御用達)等が知られ、松阪商人の名を高めました。
この時代の人物:三井高利、竹川竹斎、松浦武四郎

⑤古代・中世の松阪(飛鳥・奈良・平安)
松阪地域では、大和や北伊勢方面から伊勢神宮に向かう道が古くから開かれていたようです。特に伊勢平野を南北に縦断する参宮古道沿いには記録が多く残っています。海に近い東黒部地域には万葉集につなむ円方伝承地があります。また、街道沿いの市場症や、伊賀を通って大和に向かう道にある嬉野宮古では、斎王群行にともなう「忘れ井」などの伝承が残っています。

⑥古墳時代の松阪
松阪北部には4世紀後半の向山古墳をはじめ、いくつか前方後方墳の古墳がつくられ、この周辺はヤマト政権の力が及ぶ以前に大勢力があったうです。
5世紀初頭には、宝塚1号墳の築造で、伊勢平野では始めて埴輪を用いたヤマト政権の祭祀手法が伝わったことがみられ、この時点で松阪地域がヤマト政権の影響下に入ったようです。この勢力は宝塚2号墳に受け継がれますが、その後、宝塚2号墳の後継者と思われるほどの大型古墳が松阪地域では、なぜか見られなくなります。
階段の手前には、大きな東屋があり、正方形のベンチが2つあります。

誰もいなければ寝転べるぐらいのサイズです。

この階段をのぼっていくと、一度車道に出るので注意して下さい。

造り出しと土橋

目の前には緑の芝生が広がっており、奥に見えるふくらみが宝塚1号墳ですね。

史跡宝塚古墳石碑がたっています。

ここから少し上り坂になっています。
宝塚古墳の説明を読むことに。

芝生広場には屋根はないけどベンチが複数あります。

また、東屋も遠くに見えています。

のぼっていくと、柵で区切られており何かがずらーっと並んでいます。

もぉちょっと近づくと、埴輪でした。

公園の雨ざらしにこんなに並んでいる光景って結構、異様なものを感じますが、新鮮な風景。
普通の壷っぽいものもあれば、ちょっと大き目のサイズの盾みたいなのがあったり。

何かは分からないが、無駄にデザイン性の高いものがあったり。

家のような形のものがあったり。

そして、かの有名な船形(ふねがた)埴輪なんかも並んでいます。

この四角のスペースを取り囲む形で並んでおり、歩道も整備されているので見やすい。

ちなみには全て出土した埴輪のレプリカ(複製)で、儀式が行われていた際の並びを再現したんですって。
はにわづくりの会や地元中学生など、市民の手づくりによるものです。

この場所を造り出しと呼ばれており、規模は18m×16mで高さは2mです。
周辺からは140点を越える埴輪類が当時設置されたままの状態で見つかりました
「まつりの場」と呼ばれています。

また、造り出しと墳丘の間をつなぐ、長さ約5m、幅約2mの土橋が発見され、これが全国で最初の発見であり、古墳における祭祀(まつり)の研究が進んだとのこと。

なんと言っても全国で最初ですからね!!
船形(ふねがた)埴輪も含めて、そんなに話題になっていたことさえ当日は知りませんでしたよ。
めちゃくちゃ歴史ある場所なんですね。

この周辺も、この公園全体を整備してくれてるおばちゃんたちのおかげでもあるんですよね。

めちゃめちゃ一生懸命されてましたよ。

宝塚1号墳

宝塚1号墳は全長111m、後円部径75m、高さ10m、前方部幅66m、同高さ7mの古墳です。

見上げると丸みのある高台の上に2本の木を見ることができます。

ここから、階段と登りの道を上がっていくのですがしっかり整備されているのでのぼりやすい。

更に階段をのぼっていくと一番上に到着しました。
といっても、特に何もない広場です。

この立っている位置が、後円部になります。

先ほど下から見えた木がたっているだけですが、何もないので予想以上に景観がいい~。
こっちには団地が見下ろせ

アドバンスモールがしっかり見えます。

その向こうには山々が望めました。

あとは、造り出しの全体が良く見えます。

こう見ると土橋も良く分かるなぁ。
というか、古墳の上にのぼっても良いのか?とのぼってきてから感じたけどいいんやんな。

少し、クマバチが多くって逃げるように降りてきました。

ここから、見える部分が前方部になります。

大阪府堺市の仁徳天皇陵古墳と一緒で、上から見るときれいな鍵の形なんでしょうね。

そこから林の中を歩くルートを進んでいくと

宝塚1号墳の前方部の下?にきてその高さも感じることが出来ました。

真ん中のスペースを囲むような4本の木は、何か意味ありげです。

下りは別ルート

宝塚1号墳から車道を横断して、行きとは違ルートで下っていきます。

特に何がある訳ではないのですが、高台の端っこに多目的スペースがあります。

ベンチがあって、そこそこ広いスペースになっています。
この公園自体があまり人がいませんが、ここまで上がってくる人も少ないみたいなんで、このあたりならボールなんかで遊ぶのも出来そう。
走り回ってても全然問題ありません。

階段をのぼるとコンクリートのスペースで、影もなくって夏場なんかはちょっと大変や。

ここから、見ると歴史の道や東屋を望むことが出来ます。

ちょっと長めの階段を下っていくとスロープと合流します。

階段と分かれていますが、スロープも別のルートでつながっているので、ベビーカーや車椅子なんかでも安心していくことが出来ます。

あと、調整池は草ボーボー。

少しだけ水はあるようです。
という訳で出発したトイレ横からもどってきます。

宝塚2号墳

宝塚2号墳は、全長89m、後円部径83m、同高さ10.5m、前方部幅38m、同高さ3mの古墳です。

第2駐車場の隣にある古墳です。
道路を横切って、この階段が宝塚2号墳の入り口になります。

一段のぼってみあげると、小高い丘になっています。

上にのぼることができるが、多分のぼってはあかんってことで、周遊を歩いて見てまわってきました。
特に特徴的なことはありませんでした。

少し遠くから見た全貌。

宝塚1号墳に比べて木が茂っており、自然そのままって雰囲気になっています。
なんかほっとするキレイな景観です。

ちなみに、ここで出土した埴輪は、はにわ館で展示されています。

まとめ

とにかく静かな公園です。
公園と言っても子供らが遊ぶような遊具はひとつもありません。
どちらかといえば大人が行って散歩などのんびりする公園かと思います。
特に埴輪の並んでいる光景ってなかな見ることが出来ないので満足感は高かったかな。
芝生もきれいで良い公園ですが、ボール遊びなどするような雰囲気ではないように思います。
多目的広場なら少々はオッケーかも。

近くにはデカからあげのからあげや花があるので、ここで買って公園で食べるのも良いですね

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