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松阪市の本居宣長記念館では、古事記伝を初めとして本居宣長について全てを知ることができる

松阪市に住んでいたら本居宣長って名前を聞かないことはないと思います。
が、、、、実は何をしていた人かさえ知らなかったのが本音。

ひょんなことから松阪城に併設してある、本居宣長記念館へ行くことがあったので少しだけ寄ってきました。

なぜここまで有名なのか?
一体何をした人なのかをちょっとだけ学んできました。

本居宣長とは

江戸時代、国学を研究した学者を国学者と呼び、本居宣長はその代表格です。

国学四大人(しうし)の一人!!!!

まるで四天王のような響きがカッコいい♪

本居宣長は、伊勢国松坂(現在の松阪市)の木綿仲買商の家に生まれました。
子供のころから読書好きで7歳からは寺小屋で学び、京都で医学や儒学などの学問を学びました。
儒学とは中国の孔子(こうし)のとなえた学問で、更に意味が分からなくなる?

もともとは小津富之助(おづとみのすけ)という名前でしたが、京都において本居宣長と名乗るようになったんです。名前の原型すら残ってないんですが、これって当時はありなのか。

松坂に戻り、医者をしながら、『日本書紀』や『源氏物語』などの昔の文学の研究に取り組みます。

国学がのイメージが強いんですが、実は医者なんです。
昼間は医者、夜は国学者という生活だったんだそうです。

また、国学四大人の賀茂真淵(かもの まぶち)が伊勢神宮に参拝する時に、本居宣長が住んでいる松坂に来た時に、賀茂真淵から国学の教えとを受け、弟子入りし『古事記』の研究に進みました。
古事記とは、日本の成り立ちから推古天皇までの日本神話を記した本です。

代表著書の古事記伝(全44巻)が完成したのは69歳のときで、書き始めてから35年かけたんだそうです。
ひとつのことにこれだけ没頭できるのは根気強い人やったんやと思います。
古事記伝の出版は亡くなられてからだったんですね。

本居宣長記念館ってどこにあるの(アクセス)

ピンポイントで本居宣長記念館へ行く場合は駐車場完備なので便利です。
また、松阪城跡は、隣に無料の松阪市駐車場があるので、アクセスも良くって、その後も町中を歩いてまわる場合に凄く便利です。
という訳で、各交通手段でのアクセスは下記の通りです。

車でのアクセス

直接本居宣長記念館へ行く場合

本居宣長記念館は、松坂城跡と併設する形であり、御城番屋敷などがある松阪城の裏門跡の近くにあります。
裏門跡を出て右に曲がって、最初の道を右に曲がって坂をのぼるとあります。
月灯りの屋根第2章という飲食店のほぼ前の道になります。
カーナビを設定するなら「本居庵」か「月灯りの屋根第2章」が分かりやすいかな。

近隣の観光地を歩いてまわる場合

伊勢自動車道松阪インターを降り、そのまま直進していただくと商業施設パワーセンターが見えてきます。
その信号左折し、真っ直ぐ進むと桑名三重信用金庫川井町支店(川井町4交差点)を右折し、真っ直ぐ進み橋を渡った新松阪交差点を左折して、道なりに進むと右手に松阪市駐車場(松阪市民病院前)があるので駐車し、徒歩10分

公共交通機関でのアクセス

三重交通バス

近鉄・JR松阪駅のJR改札口側バスターミナルから「松阪中央病院行き」に乗り、「市役所前」下車して徒歩7分。
所要時間 約4分 大人:210円 小児:110円

 

市街地循環バス「鈴の音バス」
近鉄・JR松阪駅から左回りで「市役所前」下車して徒歩7分。
所要時間 約4分 小学生以上100円

徒歩でのアクセス

近鉄松阪駅、JR松阪駅より徒歩20分

本居宣長記念館について基本的なこと

本居宣長記念館の開館時間は9時~16時30分までです。
休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)となっています。
近隣にある旧長谷川治郎兵衛家や松阪商人の館(旧小津清左衛門家)、御城番屋敷の公開住宅、松阪市立歴史民俗博物館も同様に毎週月曜日は休館日なので、全て見ることができないという悲劇になってしまうことがあるので注意して下さいね。
あと、年末年始となっています。

入館料はちょっと細かい設定で大人400円大学生300円子供(小学4年から高校生)200円3年生以下は無料です。
本居宣長記念館と隣接する旧宅と両方に共通した入館料になります。
記念館だけ見て、知らずに帰ったらもったいないですよ。

名称 本居宣長記念館
住所 三重県松阪市殿町1536-7
電話番号 0598-21-0312
開館時間 9時~17時(最終入館が16時30分)
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は、翌火曜日)・年末年始
入館料 本居宣長記念館・旧宅(共通)
大人400円・大学生300円・子供(小学4年から高校生)200円
サイト http://www.norinagakinenkan.com/

本居宣長記念館を見学(写真で案内)

本居宣長記念館では、国学者の本居宣長の自画像や自筆の書類や本類、遺品などが展示してあります。
公益社団法人鈴屋蹟保存会が運営し、収蔵品総数は、16,000点ぐらいだそうです。
記念館では、本居宣長旧宅 鈴屋(国特別史跡)、魚町の本居宣長旧宅跡(国特別史跡)、山室山の本居宣長奥墓(国史跡)を管理しています。

さて、道路から坂道を上がってくると左手に駐車場があります。
未舗装で形も変わってて、真ん中に大きな木があるので適当に駐車します。

結構広いスペースなのでなかなか満車になることは少ないかと思います。
松阪城跡のとなりというか、場所的には松坂城跡の敷地内になるのかな。
石垣が目の前にありますよ!?
という訳で看板があるので矢印の方へ向かいます。

坂道or階段をのぼっていく来ます。

1分もかからず本居宣長記念館へ到着。

入り口には誰が顔を入れるか分かりませんが、お約束の顔出しパネル。

結構地味ですよね・・・・。

中に入ると早速本居宣長像が鎮座しています。

受付で入館料を支払います。

で!!!
帰りに知ったんですが、JAF優待施設で会員証を見せると入館料100円引き

結構大きいやん~なんかもったいなかったなぁ。ずーっと引きずってしまう。
是非とも活用してください。

館内はめちゃくちゃキレイ。

職員さんも数名おり、静かな雰囲気で緊張するし。
平日の昼ぐらいに行ったので、お客さんも少なく、年代的にもめずらしい年代やと思うので少し不審者に見えたのではないかと不安になってました。

1階では、明るい窓側に向かってカウンターがあり、本などを読めるスペースがあります。

真ん中には机が3つあり、丸型、三角型、四角型のパネルがあり、本居宣長に関するクイズが書いてあり、正解は下に書いてあるんです。

3択問題で、こんな形で学べるのは楽しいですね。

ほぼ勘で答える感じ。

奥のスペースでは、映像で本居宣長について学べます。

生い立ちから古事記伝を完成させるところまでの話を要約して分かりやすく説明してくれます。

この時点で何をした人かって少し分かってきたかなぁ。

という訳で、2階の展示スペースへ移動します。

踊り場には、17歳の時に書いた縦1.2m×横1.9mの大きな日本地図があります。

この日本地図は、当時はまだ測量の地図が作られる前で、地名や名称などが間違っていたり、あまり良くない地図が多かったので、場所等の間違いを正した地図を本居宣長が自分で調べ書いたんです。

全体的には大まかな形はあっていますが、ところどころ特徴があって面白い。

こう見ると三重県の地名ってそれほど変わらんのやなぁ。

パネル展示で「宣長ってどんな人?」

本居宣長と吉田松陰は似てる??

幕末の志士は良く歩く。

知識を得るにはその場にいってその場で会う。
今では電話やネットで解決できるけど、それでも会うってことはまた違うよね。
百聞は一見にしかず、、、まったくそうなんさ。
なのでいろいろ出かけたいって口実です。

などなど。
基本的な情報が展示されていました。

では、ここから展示室。

本居宣長のゆかりの書物が所狭しと展示してあります。

ただ、、、昔の文字なので読めないのと学がなさすぎて全然わからんよ。

めちゃくちゃ貴重なものと分かりつつ。

こちらは古事記

万葉集

本居家略系図

本居宣長の書斎を鈴屋(すずのや)と言うんですが、6つの鈴が付いた変わった形。

三十六鈴柱掛鈴と言うそうです。

本居宣長の像の目つき怖すぎ!?

ほぼほぼ内容が分からなかったので、マジマジと見ることもできずに流すように見学。
本当はここが一番の見所なんでしょうね。

向かいにもぉ1部屋あり、机がならんで研修室になっています。

後ろには一生読まないような難しい本がびっしり。

古事記伝なんかもありましたよ。

「日本行脚文集」主要工程図

今の松阪城跡のサイズと当時のお堀の大きさが地図になっています。

松阪工業高等学校や市民プールまでその内側にあるのでいかに大きかったかが分かります。

そういえば原田二郎旧宅にもお堀の一部が庭にあったなぁ。

めっちゃ興味深い図ですね。

デジタル化された書籍などが読むことができます。

画面にずらーっと表紙が表示されるのは圧巻。
タッチパネルをさわると見たい書籍が表示されます。

でも、何度も言うがまったく意味が理解できない。

生活者、宣長。
超ハードスケジュール。

医者として国学者としてもやりきってたんですね。

当時の周辺の地図なんかもありました。

本居宣長の年表で人目で分かる。

土産もいろいろ販売しています。
宣長ブランド。

これだけの商品数があるんですね。
松阪もめん商品が充実。
他には鈴の品揃えが豊富です。

この鈴よく見る、、、確か柳屋奉善、たつみ堂、朝日軒本舗なんかの最中の形。
この鈴は本居宣長は土鈴のコレクターとしても有名で、その鈴の形です。

まとめ

かの有名な国学者である本居宣長について知ることが出来ます。
といいつつ、何をした人か知りませんでしたが良く分かりました。
松阪の偉人を肌に感じることができてよかったのですが、古事記伝をはじめとして書籍等については、理解しようとすると努力が必要ですね。
しっかり見たい人は複数で行くより1人で来てしっかり見ることをオススメします。
それほどの情報量でしたよ。

 

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