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松本潤主演のNHK永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~放送記念公演会を聴いてきた

北海道の名付け親である松阪市が誇る偉人 松浦武四郎がNHKドラマ化されました。
NHK永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~
しかも主役は嵐の松本潤さんということで注目度抜群です。

松阪市の偉人 松浦武四郎がドラマ化、、、主演はまさかの嵐の松本潤!?松阪市の誇る偉人と言えば、北海道の名付け親でもある松浦武四郎ですよね。 三重県での知名度よりも、北海道が圧倒的かとは思いますが、僕も名...

放送日の令和元年7月15日(月)の13時からクラギ文化ホールで放送記念講演会が開催されるということで行ってきました。

問い合わせなども反響があって、当初の500名の定員で農業屋コミュニティ文化センターを予定していましたが、同敷地内にある1,300名のクラギ文化ホールに変更になるほどです。

駐車場もそこそこうまっており、当日でも整理券をもらえて入ることが出来ました。

ロビーには松浦武四郎に関するパネル展示がありました。

ドラマのポスターもあったんですが、撮影不可と残念すぎる。
席に座ると前方はほぼほぼうまっており、なかなかの集客やったんじゃないでしょうか。

松浦武四郎って、まだまだ三重県でも名前が知れているかといったらそうではないので、年配の方が多かったかなぁ。
聞きかじっただけですが、少しだけ内容をまとめてみました。

松浦武四郎については下記の記事をご覧下さい。

松浦武四郎記念館には、北海道の名付け親松浦武四郎が全国を歩いた探検家としての多くの資料が残る松阪市の誇る偉人 松浦武四郎記念館へ行ってきました。 漠然と北海道の名付け親であるって知識しかありませんでしたが、なぜ北海道を調査...

竹上市長あいさつ

松阪市竹上市長より、今回、このようなNHKで松浦武四郎の生涯をドラマ化するにあたって、2018年(平成30年)に松阪市においては松浦武四郎生誕200年、北海道においては北海道の名前になって150年とメモリアルイヤーということもありました。

ひとつの転機として、2016年(平成28年)の夏に、竹上市長が北海道にまで出向いて、北海道の高橋知事に一緒に何かやりませんかと言ったのが始まりなんですって。

その際に、北海道アイヌ協会の理事長とも合われて、松浦武四郎のおかげでアイヌの民族は今存在している。
150年以上も前の話に涙をされたそうで、中途半端なことをしててもダメだなということで事業にも取り組まれたんです。

北海道や三重県では名前は知れているものの、松浦武四郎が行った偉業を全国各地に知ってもらいたいという想いを持って、今まで、このようなドラマなどにはされなかった内容が放送される。

原作がない、このドラマを作った脚本家の大石静氏の紹介があって、講演にうつりました。

第一部 放送記念講演 脚本家 大石静

東京都出身の脚本家で、ふたりっこ、セカンドバージン、最近では家売るオンナなどの脚本を作っている売れっ子脚本家です。
脚本家という仕事をしていると、原作があって、その話をアレンジしたりしてドラマ化することを脚本家の仕事というイメージを持たれている人が多いが、実際には、オリジナルの脚本がかけてこそ一人前と言われるんです。

実際に、最近ではヒットした小説や漫画などを元にしたものが多くって、そのように言われるんですが、名作と呼ばれるものはオリジナルに多いんです。
日本では、踊る大捜査線や王様のレストラン、古畑任三郎などは完全オリジナルですね。

小説家は状況などを文章で表現して、個人で動いているので届けたい相手に対してダイレクトに届くのに対して、脚本家は全てセリフや雰囲気で表現し、ひとつのドラマなどを作り上げるのに、脚本・監督・役者・音声・ディレクター・メイクなどなどチームで動いており、多くの段階を得ていくのでダイレクトには届きません。

ひとつひとつの役割をこなしてドラマが出来上がっていきますので、当初思っていない出来上がりもあるんです。
台本のセリフ一つをとっても、語尾のニュアンスで全然とらえ方が違ってくるが、駆け出しの俳優ほど語尾を変えるなどアドリブを入れる。逆にベテラン俳優は語尾の大切さを知っているので、アドリブをいれずにしっかり演技するそうです。

脚本という言葉は、脚の本と書くところから、土台がしっかりしないとグラグラになるので、自分の役割は足元をつくること。テーマを哲学を示すことで、スタッフにとって頑張ろうと思ってもらえるものを提供するのが自分の役目である。

ドラマを作り上げるには、1年~1年半のぐらいが必要であり、基本的にはテレビ局のプロデューサーのより依頼があって、プロデューサーの考えるイメージを聞いて、企画を決めます。
そこから、キャスティングを決めていきますが、基本的には意見は言えるが、脚本家には決定権がなく基本的にはプロデューサーが決定するんです。
だいたい、70名~80名のチームでドラマを作り上げていきます。

最近のテレビは、テロップに面白い部分の文字を入れたり、スポーツにもプレー内容の説明や共感など全てを与えすぎてしまうので、何も考えなくてもテレビを見えてしまうようになってきた。
悪い意味で幼稚化してきている現状があり、原作ありばかりのドラマなどを続けてきた弊害で、脚本家が育たず、自分で書きたいものが何かなのかを考えなくなってしまっている。

第二部 トークセッション ここが知りたい

■ファシリテーター
松阪市長 竹上市長

■ゲスト
NHK札幌放送局長     若泉久朗 氏
脚本家           大石 静 氏
松浦武四郎記念館主任学芸員 山本 命 氏

ここからは、永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎についてのトークセッション。
竹上市長より、2016年(平成28年)に北海道へ、2017年(平成29年)には三重県や北海道知事も含めて、NHKの東京へ要望をあげていくなどの活動によって、今回のドラマ化が決定しました。
ちなみに、ドラマの放送日がなかなか決まらないが、今日の放送記念講演は、大石静氏が多忙の為に、早急に日程調整する必要があって、事前に決めたんですって。
その後、放送日が確定したら同じ日っていう偶然だったんだとか。これもなんか運命ですね。

なぜこのドラマをつくることになったのか

(若泉氏)
このドラマが出来たのも、もともとドラマの部署にいた若泉氏が、偶然、札幌放送局へ異動したことが、非常に大きな要因で、北海道の名付け親である松浦武四郎は、アイヌの人々に慕われており、非常に大きな功績を残している反面、幕末の北海道やアイヌについて詳細まで描かれたことは今までにもなくって、NHKとしてもチャレンジとなる内容だった。
偶然に偶然が重なったうえで、出来上がったのが永遠のニシパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎です。

このドラマを通して視聴者へ伝えたかったこと

(大石氏)
ヒューマニズムを伝えていきたい。ヒューマニズムとは、「人間にとって人間が最高で、人間性こそ尊重すべきものだとする、態度・思想傾向・世界観」を言うそうですが、イマイチよく分かりません。
神ではなく、人間中心の思想のことだそうです。

近代日本でヒューマニズムを知りたければ、松浦武四郎を知れと言われるほどなんだそうです。
明治維新の中で、表に出て活躍してきた人材もいるが、裏で志が高い人で時代を支えた人もおり、その代表が松浦武四郎です。志、挫折、活躍してきたことを伝えたい。

松浦武四郎の記念館主任学芸員としてドラマに対しての感想

(山本氏)
松浦武四郎は、北海道の名付け親だけではなくって、日本全国、北海道から鹿児島県まで調査に歩いて、いろんなことをやっている。
その行動力がかっこよく、アイヌなども含めて、言葉や文化の壁を乗り越えていく様を、見ていただき、好きになっていただける人が増えればと思います。

松浦武四郎は、背も高くはなくかっこいいという訳ではないと思うがなぜ、嵐の松本潤だったのか

(若泉氏)
松浦武四郎は、北海道や三重県では知られていますが、全国的に見ると知られていない偉人です。
そこで、今回ドラマをやるにあたって、松浦武四郎を知らしめることが必要であり、特に若い方に人気がある嵐の松本潤さんが名前にあがり、北海道の雄大な自然をバックに撮影するので中途半端な役者では食われてしまうので、1人にしぼって交渉を行った。
ただし、武士役ははじめての役柄だったが、実際にやってもらって「ドンピシャ」で、見事に演じぬいてもらった。

深田恭子さんを選んだ理由は

(大石氏)
記録にも、松浦武四郎の奥さんは2人おり、1人目は早くに死別、2人目は添い遂げたということで、記録に関しては、女性関係にかんすることはまったく残っていませんでした。
ただ、ドラマにする時に、恋愛的な要素も必要と言うことで、ニシパの大切な人という意味合いも含めて、どのような話になるかはドラマを実際に見てみて下さい。
まぁ、ドラマ前にネタバレはダメですからね。

北海道に調査で6回訪れていたが、北海道をなずけてからは、20年あまり1度も訪れていないのはなぜ

(山本さん)
北海道に対する思いが深かったことが考えられる。アイヌ人のおかれている状況を変えたかったが、現状を幕府に知られてしまっては利益がなくなってしまうと、役人や承認からの抵抗勢力もあって、妨害を受けてしまい政府をやめてしまう。
1人では何もできない、無念、アイヌへの顔向けができないなど行くのを躊躇していたのではないか。
生涯無念を感じ続けていたのではないか。

松浦武四郎ドラマを作るうえで、松浦武四郎という人はどんな人でしたか

(大石氏)
とにかく、異常な体力があり1日で60kmも歩くとのこと。
平坦な道なら可能ですが、道なき道を歩いていく鋼鉄の脚と意志の強さが凄い人。
こだわりが強く、文章や絵を書いても非常に優れており、その分野も極めたらトップクラスだったと考えられる。
古銭コレクターとしての顔などもあります。

松浦武四郎記念館も来館者数が増加してきており、25年たつが今後どのような施設にしていきたいか

(山本氏)
松浦武四郎生誕200周年、北海道命名150周年を迎えて、松浦武四郎記念館の来館客数は1万人を超えて、公民館スペースを併設していることから使い勝手が悪くなっている。別で、公民館を建設することで、空きスペースが出来ることから、アイヌの人々とのかかわりなど、生涯を伝える内容など、小さい施設であるが他にはないオリジナルの施設を目指していく。

まとめ

一部の脚本家の仕事の考え方から、二部のトークセッションまで聞き入ってしまいました。
松浦武四郎記念館へ行って、得た知識が更に広がったように思います。
明治維新の主要人物というわけではありませんが、圧倒的な行動力と人間らしさの部分が何よりも魅力的な人物ですね。
それにしても、年配のお客さんの話に対する反応の良さは良いなぁ。
納得した相槌や笑いなんかもいい感じで進んでましたよ。
帰りに、整理券を記念にいただきました。

松浦武四郎記念館には、北海道の名付け親松浦武四郎が全国を歩いた探検家としての多くの資料が残る松阪市の誇る偉人 松浦武四郎記念館へ行ってきました。 漠然と北海道の名付け親であるって知識しかありませんでしたが、なぜ北海道を調査...
伊勢神宮に続く伊勢街道沿の松浦武四郎誕生地は当時の生活を見ることが出来る建物北海道の名付け親である松浦武四郎記念館を見学したら、そのまま徒歩圏内にある松浦武四郎誕生地へ合わせて行く事をオススメします。 松浦...
松阪市の松浦武四郎記念館から誕生地まで5分歩くと当時の伊勢街道の雰囲気を味わえる北海道の名付け親である松浦武四郎記念館を見学したら、歩いて松浦武四郎誕生地へ行くことができます。 松浦武四郎誕生地は南に行けば伊勢神宮...