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松阪市の粥見井尻遺跡公園は世界最古の土偶と竪穴住居が再現された全国的にも貴重な遺跡

国道166号線で松阪市の西部にある飯南町へやってきました。
櫛田川に平行して走っている道で、交通量もそれほど多くはなくドライブするにはちょうど良い道です。
途中で粥見井尻遺跡公園という看板を発見し、気になるので寄ってみました。

粥見井尻遺跡公園とは

粥見井尻遺跡公園は、櫛田川沿いにある松阪市飯南町粥見地区にあり、縄文時代草創期(そうそうき)のもので、約13,000~9,500年前の竪穴住居が跡4基と、日本最古の土偶、矢柄研磨器(やがらけんまき)・隆線文土器(りゅうせんもんどき)など当時の生活を特徴付ける物が発見されました。

特に女性の上半身を形どった小さな土偶はほぼ完全な形で発見されたので三重県の有形文化財に指定され、歴史上、非常に重要な発見となっています。

1996年(平成8年)の国道368号線のバイパス工事の際に調査が行われて、粥見井尻遺跡を保存するために、土盛りの道路から、遺跡をまたぐ高架方式道路に変更されました。
遺跡1,700平方メートルは竪穴住居も復元されて、高架下は粥見井尻遺跡公園として開放、公開されています。

粥見井尻遺跡公園ってどこにあるの(アクセス)

粥見井尻遺跡は、平成の大合併により、1市(松阪市)4町(嬉野町、三雲町、飯南町、飯高町)が平成17年1月1日に合併しました。その中の、旧飯南郡飯南町と呼ばれる地域にあり、国道166号線沿いで奈良方面に抜けることができます。

車でのアクセス

伊勢自動車道松阪インターを降り、最初の交差点(松阪インター入口)を右折し、道なりにずーっと走っていきます。
5分ぐらいそのまま走ると突き当たりに166号線に出る交差点(丹生寺町)があるので右折します。
20分程度直進し、交差点(粥見井尻)を左折し、最初の交差点に粥見井尻遺跡の看板があるので右折し、またすぐ右折したところに駐車場があります。
分かりにくいですが、写真の奥の奥の道路から右折してきました。

だいたい30分程度の道のりです。

粥見井尻遺跡公園駐車場には大きな看板があるので見逃すことはないかと思います。

失礼ですが、粥見井尻遺跡公園の規模に対して、かなり大きな駐車場で20台以上駐車できると思います。

粥見井尻遺跡公園はここから徒歩100mほどで、国道166号線と交わる駐車場の一番奥の階段を高架の方へ向かって歩いていきます。

ちょっと荒れていますが、松阪市の特産品の茶畑の間を歩いていきます。

すぐに高架下のトンネルがあるのでくぐらず道なりに左に進んでいきます。

そうすると右手に粥見井尻遺跡公園が見えてきます。

そして到着しました粥見井尻遺跡公園。
本当に高架下にある遺跡で、敷地内自体は凄くシンプルに竪穴住居が建っています。

かなりの頻度で通ってたこともありますが、まさか道路の下に遺跡があるって全然知りませんでしたよ。

公共交通機関でのアクセス

三重交通バス

近鉄・JR松阪駅のJR改札口側バスターミナルから「道の駅飯高駅行き」、「スメール行き、」に乗り、「粥見神社前」下車して徒歩7分。
所要時間 約40分~50分  大人:940円 小児:470円

松阪市コミュニティバス(飯南Cバス)

松阪市の飯南町~飯高町の方は、コミュニティバスを利用すると便利です。
「丸博土木事務所前」で下車して徒歩4分。
ただし、土・日及び年末年始(12月31日~1月3日)は運行してませんので良く確認して乗車してください。

徒歩でのアクセス

松阪市内からはちょっと無理ですね。

粥見井尻遺跡公園について基本的なこと

粥見井尻遺跡公園は遺跡公園なので、入場料はありませんし、24時間利用することが可能です。
ただし、駐車場周辺には民家もあるので、夜間に見学する場合は注意して下さい。

名称 粥見井尻遺跡公園
住所 三重県松阪市飯南町粥見
電話番号 0598-32-2004(松阪市飯南産業文化センター)
開園時間 24時間
閉園日 なし
入場料 なし
サイト なし

粥見井尻遺跡公園を見学(写真で案内)

粥見井尻遺跡公園へ到着。

早速、敷地内に入ってみます。

屋外展示だけあって、石の展示箱に入っています。

石なんかが飛んできて傷や割れないようにか、ビニールでガラス面を保護してあるので少し見難いですが、24時間雨ざらしなんで仕方ないですよね。

無紋土器(むもんどき)は、土偶が出土した竪穴住居から出土した土器です。模様はありませんが、縄文時代草創期(約12,000年前)の土器です。

右が矢柄研磨機(やがらけんまき)で、石の平坦面に溝を施した研石です。縄文時代草創期に限られた石器で、2つの溝を掘った石を合わせて木の枝で矢を作るためにまっすぐにするために使われた道具です。
左がスクレイバー(皮はぎ具)で、薄く加工した石の横に刃を付けた道具です。皮を切ったり、木や骨を削るのに使ったと考えられている道具です。

尖頭器(せんとうき)は、先端が鋭く尖っていて、おもに刺突するために使われた石器です。
槍の穂先として着装した狩猟具と考えられます。

石鏃(せきぞく)
弓矢の矢先につけた鏃です。やじりとも読み、矢尻と書くこともあります。

こちらが、この遺跡最大の発見とも言われる、土偶。
粥見井尻遺跡の土偶は、国内でも最も古い土偶です。

こうした土偶が出土することは、今から12,000年前には人々が定住をはじめた証拠と考えられています。
っていうか、小型の土偶で全長6.8cm、幅4.2cm、厚さ2.6cmとめちゃめちゃちっちゃ。
逆に良く作った???
想像では小さい子供サイズを想像していたんやけど。

高架下の柱には当時の生活をイラスト化した壁画は一面にあります。

当時の生活のイメージがしやすいですね。。。

下にはボタンがあって、音声案内してくれるんです。

が、、、この声が結構大きくて、近くの民家にまで聞こえるぐらいの声で、恥ずかしくって不審感丸出しでした。
なかなか人がくることってないよなぁ。

・温暖化と縄文文化の始まり
粥見井尻遺跡に人が住んだのは、今から12,000年~11,000年前です。
それまでは、今の東北地方くらいの寒さでしたが、暖かくなりはじめました。

・定住の始まり
対馬暖流が日本海に流れ込むようになり、四季がはっきりしだしました。
春や夏には植物や魚をとり、秋には木の実、冬には狩をして過ごすようになった。
この時代から定住をするようになった。

定住と竪穴住居や土偶
定住にともなって、簡易な住居から地面を掘って竪穴住居をつくるようになった。
衛生問題や人間関係など解決の為に、医学や法律に替わって、宗教や呪術・タブー(禁止事項)が発達した。

・粥見井尻遺跡の暮らし
櫛田川に面して1,2軒の家があり、数人から十数人が住んでいたのではないかと予想しています。
森ではドングリを拾い、櫛田川ではサケ漁が行われ、土偶や土器も作っていました。

一番見たかったのは竪穴住居。
粥見井尻遺跡では、4棟の竪穴住居跡が発見されました。
一緒のタイミングで建っていたのは2棟程度で、建て替えなどにより複数箇所の形跡がみられます。

旧石器時代は、平地に屋根をかけただけのものでしたが、縄文時代草創期になると、直径4m~6m程で、深さ1m程度地面を掘って、屋根をかけた竪穴住居です。

2つの竪穴住居がありますが、これが作りが違うんです。
1つめがこちらで、ちょっと細めのつくり的には意外と簡単なもの。

木を組んで垂木(たるき)と呼ばれる、屋根を支える斜めに付ける木のことを言い、そこに屋根をはってできたもので、中には柱がないことが分かります。

もう1つが、少しボリューム感もあって、間口も良い雰囲気ですよね。

中を見るとしっかり柱もたっていて安定感もありますし、居住スペースをしっかりとることが出来ています。

ただ、、、このつくりって雨が漏れんのやろか?
それを言ったら白川郷などのわらぶきの屋根全般やけど。

この場合、、、、ちょうど高架下ってことで今はいいけど当時はどうなん?

絶対つたってくるよなぁ。

壁画の反対側には掲示板がずらーっと。

粥見井尻遺跡の歴史。

ここで開催された土器作りや火おこし体験の写真が掲示されています。

あとベンチがあるので、屋根付きで休憩できます。

あと、まつさかサイクルチャレンジの旗がたってました。

サイクルラックもあるので、町内をサイクリングってのも良いかもしれませんね。

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まとめ

まだまだ知名度は低いですが、日本最古の土偶とから竪穴住居とか全国的にもめずらしいものが発見されており、非常に業界的には重要なものであることが分かりました。
竪穴住居の雰囲気はフォトスポットとしてはかなり良い感じです。
1施設では少し弱いので周辺の観光と合わせて見学なら良いと思いますよ。
もちろん、古墳や歴史に興味のある場合は凄く興味深いと思います。
高架下なので、雨でも見学できる貴重な屋外施設ですよ。
あとベンチがあるので、もしかしたら地元の休憩スポットのような気がします。
意外と周辺から目立たん穴場なので。

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