観光・お出かけ

松阪市観光の中心の松坂城跡は蒲生氏郷が築いた迫力のある石垣と町を一望できる展望

松阪市の観光のシンボルと言えばやっぱり松阪城じゃないかなって個人的に思っています。
松阪城と言っても、城が残っている訳ではなくって、城壁などの城跡が残っているんです。

松阪市役所から徒歩1分ぐらいと程近いところにあるので仕事のついでに少しだけっていうのもありですね。

あと近隣には、松阪市が誇る豪商の三井家の発祥の地、松阪商人の館(旧小津清左衛門家)、旧長谷川治郎兵衛家や偉人原田二郎旧宅、古事記伝で有名な本居宣長記念館、御城番屋敷の公開住宅、松阪市立歴史民俗博物館など、当時の松阪の文化や生活を知ることが出来る施設もあるので是非、合わせて観光してみてください。

松阪城とは

松阪城は、1588年(天正16年)に蒲生氏郷(がもううじさと)により、標高約38mの独立した丘陵(小さな山・丘)に築かれたお城です。

三重県松阪市殿町にあり、当時は松坂城だったそうですが、現在は松阪城になっています。
ただし、残念ながら建造物が何も残っておらず、石垣だけが残っています。
見上げる迫力のある石垣は本当に立派でこれだけでも見ごたえがあります。

1591年に蒲生氏郷が会津若松に転封(府の命令で、大名の領地を他に移すこと)となった後、服部一忠、に古田重勝と城主が代わり、1619年(元和5年)に紀州徳川藩の支城となりました。

平成18年には日本の城100選日本の歴史公園百選にも選ばれており、約4.7haの城跡が「近世の政治・軍事を知る上で貴重」なので、松坂城跡として平成23年に国指定史跡に指定ています。

春は桜の名所

夏は新緑の名所

秋は紅葉の名所

いろんな顔を見せてくれますから地元民のお気に入りの場所です♪

蒲生氏郷とは

蒲生氏郷は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将です。
1584年(天正12年)、南伊勢12万石の大名として、現在の滋賀県から松ヶ島城(松阪市松ヶ島町)に入ります。

その後、城下町も発展性がないとして、四五百森(よいほのもり)という小高い丘で新しい城を建築したのが松坂城の始まりで、城下町も一緒に移転してきたんです。
これが、今の松阪市の始まりなんですね。

でも、松ヶ島城と松坂城を合わせても、松阪市にいたのは7年ぐらいやったんですね。
松阪の出身で松阪に最後までいたんだと思っていました。
でも、その功績、影響力は凄かったんでしょうね。
毎年開催される氏郷まつりはここから来ているんやって今更知った(汗)

あと「万石」って良く聞くけど意味って知ってますか?
多ければ凄いんやろなぁと思いつつ、イマイチどころか検討もついていません。
石 (コク)って米の量を表す単位のことで、1石は、米俵2.5俵分のこと。
1俵は約60kgなので1石は約150kgです。
1石は、成人の男性が一年間に食べる米の量を基準に決められ、1万石とは1万人の成人男性が1年間に食べる米の量という意味です。
ということは、1万人の家来を食べさせることができるということになります
1万石の領地というのは、1万石の米が収穫できる土地ということで、12万石とは12万人、、、、途方もない人数になりますよね。

松阪城跡ってどこにあるの(アクセス)

松阪城跡は、隣に無料の松阪市駐車場があるので、アクセスも良くって、その後も町中を歩いてまわる場合に凄く便利です。
という訳で、各交通手段でのアクセスは下記の通りです。

・車でのアクセス

伊勢自動車道松阪インターを降り、そのまま直進していただくと商業施設パワーセンターが見えてきます。
その信号左折し、真っ直ぐ進むと桑名三重信用金庫川井町支店(川井町4交差点)を右折し、真っ直ぐ進み橋を渡った新松阪交差点を左折して、道なりに進むと右手に松阪市駐車場(松阪市民病院前)があるので駐車し、徒歩10分

・公共交通機関でのアクセス

三重交通バス

近鉄・JR松阪駅のJR改札口側バスターミナルから「松阪中央病院行き」に乗り、「市民病院前」下車して徒歩2分。
所要時間 約4分 大人:210円 小児:110円

市街地循環バス「鈴の音バス」

近鉄・JR松阪駅から左回りで「市民病院前」下車して徒歩2分。
所要時間 約4分 小学生以上100円

徒歩でのアクセス

近鉄松阪駅、JR松阪駅より徒歩20分

松阪城跡について基本的なこと

松坂城跡は公園となっているので特に開城時間などはなく24時間大丈夫です。
暗いところもあるので注意してくださいね。
休城日についても特にありません。

入城料は・・・・なんと無料です。
当たり前ですね。

名称 松阪城跡
住所 三重県松阪市殿町
電話番号 0598-23-7771(松阪駅観光情報センター)
開城時間 24時間
休城日 年中無休
入城料 無料
サイト なし

松阪城跡を見学(写真で案内)

松阪市駐車場の隣に松阪城跡があります。
隣なんですが、城の大手門までは、松阪市民病院前の車道横の歩道を歩いて行きます。

そして松阪城跡の入り口に到着しました。

この入り口も石垣にかこまれている感じが凄く迫力あるな。
中がどんなになっているのかワクワクする。
あと、坂道を登るのと意外と歩くので、松阪城跡の入り口前にヤマザキショップがあるので、そこで飲み物なんかを購入しておくと良いかもしれません。

「松坂市」から「松阪市」に統一されたとあったけど、松坂城跡って石碑がたっていますね。

お城の名前は松坂城跡みたいですね。
観光協会なんかもそのようになっていますし、これ以降は「松坂城跡」で統一します。
松坂城跡の説明。

案内図が掲示してあります。
あと、左上に申し訳なさげに掲示されているんですが、ここが刀剣乱舞って映画の撮影地にもなっていたんですって

~。ちょっと紹介見ると面白そう。
http://touken-movie2019.jp/

松阪城跡を散策するならこのマップが便利。

表門跡~二ノ丸

・表門跡

表門跡の石碑があり。

石垣がそびえたっています。

のぼっていくと目の前には松坂城跡碑がたっています。
1978年(昭和53年)に、蒲生氏郷開府390年と市制施工45周年を記念して表門跡正面に建てられたものです。
あ!!気づいてしまったこっちの石碑は「松阪城跡」になってるし、どっちが正しいのかは更に謎。

石碑には下記のように記載されています。

わが松阪の近世都市としての形成は氏郷公の松阪城構築によってはじまる 天正十二年六月 二十九歳の若さで松ヶ島城主となった氏郷公は ここ四五百森一帯の地の利に着目し築城を進め 天正十六年八月入城この町を「松坂」と命名し 楽市楽座 街道の整備 商人の誘致など生新で画期的な政策をもって松阪発展の基礎を固めた
近江日野からこの地に赴任し わずか数年で会津若松に転封となったが この間の傑出した城下町の経営は江戸時代に至り見事に開花し 商都松阪として結実をみた文武に通じ 経世にすぐれた氏郷公は また歌を能くし茶道は千利休七哲のひとりとして高名であり戦国屈指の名将であった。

ここから左右に道が分かれています。

石碑で案内があり、左に行くと本居宣長記念館、御城番屋敷。
右に行くと歴史民族資料館、天守閣跡があります。

左側ルートを進んでいきますが、ここから未舗装の道になります。

この辺はどちらか行くかで、どちらからでもまわってこれるのでそれほど問題ではありません。

下から見上げる石垣は、いびつな形をした石を使っているにも関わらず、面はしっかりととのっており、かなり高い!

城跡でもこれだけのものが残っていると凄く迫力を感じます。

見上げると草なども映えていたり、石と緑のコントラストが良い雰囲気を出していますね。

徳川陣屋跡

坂道を登りきると一気に景観が広がり、ベントなどがあって公園になっています。


自動車が駐車してあると少し冷めてしまいますね。
このスペースにはトイレがあるのでここで済ませてください。

上の方に行くとありません。
売店もあるので、ここで休憩って言うのも良いと思います。

音楽堂という、イベントが出来そうな屋根つきのステージなんかもありますよ。

白塚大三郎顕彰碑。

明治期の実業家で松阪木綿㈱の創設者。

樹齢300年の古木があり、シーズンには一面に藤の花を楽しむことができるんです。

しかも、木は1本でこれだけの大きさに広がっています。

ここからは、松阪市内を見渡せる絶景が楽しめます。
目の前にある大きなビルは、松阪牛の超名店の和田金です。

僕のような庶民ではなかなか行けないお店です。

そしてもぉ1つの絶景が一番のオススメ。

となりには武家屋敷が並ぶ御城番屋敷を上から見ることが出来るんです。
松阪市の城下町でもここだけは別格の雰囲気なんです。
車がなければもっと良かったが奥に真っ直ぐに伸びる石畳は他にはない景観。
もっとアップにすると美しいですよね~

歩いている人もなんか絵になるし。
現在でも人は住んでおり、屋根は全て長くつながっているが、家は分かれており、別々の住民が住んでいます。

ところどころに石垣注意の看板がたっています。

これは、ほんと。
石垣が高いが、特に何もないので落ちてしまう可能性があるので常に注意しておく必要があります。
落ちたら命に関わるし、子供らがふざけて遊んでて落ちてしまったらって考えるとほんと怖い。
絶対に注意しておいて下さいね。

裏門跡

御城番屋敷方面からの入り口が松阪城の裏門になります。

向かって左側には大きな旧伊勢街道常夜灯があります。

右側には整備された城下町の雰囲気を崩さないキレイなトイレが横にあります。

駐車場も1台分しかないので、ここに駐車して周りを観光っていうのはやめた方が良いと思います。

左右を木に覆われた雰囲気はまた表門と違って良い雰囲気ですね。

何気にFree WiFi表示もあります。

先ほどもあった刀剣乱舞の映画の撮影スポットも紹介されてます!

松阪市も観光に力入っていますね。

お城の防衛力向上のため、堀、土塁、石垣の配置が工夫されています。

2回曲がっており、食い違いにすることによって、攻撃側が攻めにくく、防御側からは攻撃をしやすい構造にしてあります。それを食違虎口って言うんですって。

ここをのぼると二ノ丸へつながっています。

隠居丸

隠居丸には本居宣長旧宅があります。

部屋に鈴がかけてあったことから鈴屋と呼ばれており、終生(一生を終えるまでの間)の家出あり、2階が53歳の時に物置を改造した書斎「鈴屋(すずのや)」です。
国の指定特別史跡になっています。
となりにあるのが、桜松閣で、明治42年に旧宅が魚町より移設されてきた時に、旧鈴屋遺蹟保存会の事務所として建設されました。こちらも国登録有形文化財になっています。

中御門跡~本丸(下段)

ここからから階段に変わります。

石の階段の高さ、奥行きなど歩幅的にも歩きにくいんですが、これも攻め込まれにくくする工夫かな?

そのまま中御門跡を進んでいきます。

ここが刀剣乱舞の撮影場所!!

確かにこの石垣なら良い雰囲気の映像が撮影できそう。

本丸の下段も広場になっています。
まわりは一段上がった形で櫓になっており、石垣注意の看板がいろんなところにたっています。

ぐるーっと歩いていくとやっぱりこの高さは怖すぎる??

足がすくむわぁ。。。
でも、この石垣の不規則ですが、面がめちゃくちゃきれいに並んでいますね。

ここが月見橧跡

名前の通り月見をする為に造られた櫓です。

このあたりが太鼓橧跡

家臣に登城を知らせる太鼓が置かれていた櫓。

ちなみに櫓(やぐら)って、防御や物見のために建てられた仮設または常設の建築物のことを言います。

ここからは更に良く和田金ビルが見える!!

梶井基次郎文学碑

基次郎が松阪にあった姉の家で療養していた時の経験がいかされた「城のある町にて」の一節が書かれています。

本丸(上段)

急勾配の石階段をのぼると本丸(上段)です。

本丸は城の最高部で蒲生氏郷の居館もあった場所です。
ここもまわりが櫓でかこまれており、広場になっています。

金の間櫓があり、名前の通り金箔をはった黄金の間だったんだそうです。
本丸跡の石碑の後ろには、当時の井戸が残っています。

網で囲ってあり、見えにくいですが水は枯れているみたい。

この階段を登ると松阪城の最上部。

天守閣跡です。

特に何もないです~

まぁ城跡ですから。

城の裏側は木が茂っています。

下っていく階段は結構粗いというか荒れてる気がする。

そこには松阪城梅林があります。

裏手って今までもあまり来たことがなかったんで、桜や紅葉のイメージでした。
もしかして3月ぐらいには梅が咲き誇っているんかな。

裏手は景観が良くって、堀坂山、観音岳、日川富士、白米城などの山々が望めます。

ん?でも、マンションらしき大きな建物でちょっと見えんくなってるわ。

下を見ると足がすくむ・・・・。

戻るときの角櫓跡はコの字型になっている不思議な形。

藤見櫓跡は藤見の宴が催される櫓なんです。

裏手の石垣は草ぼーぼーなところもありました。

表の石垣はあれほどキレイにしてあるのは、凄い努力でしょうね。

松阪市立歴史民族資料館

松阪城内には松阪市立歴史民族資料館があります。

明治43年の皇太子の飯南郡への視察を記念して一般から寄付を募って、飯南郡図書館として建設されました。
昭和52年まで松阪市立図書館として使用されていましたが、翌年から松阪市立歴史民族資料館として使用されています。

松阪市などの商家のお店を再現したものや看板、松阪城や松阪木綿などの関連資料、昔の道具なんかも展示されており、当時の生活なんかを垣間見ることができます。

松阪城の井戸

当時はお城に3つの井戸があたったが、現在でも水が湧き出ている唯一の井戸です。
キレイに整備されています。

網目が細かすぎていまいち中が見えません。

まとめ

いや~しっかり歩いた。
山ほどしんどくはなくって、程よく歩ける距離感は良いですね。
1個1個当時の城のイメージをして見ていくと凄く楽しめました。
出来れば事前にパンフレットなどで予習しておくと分かりやすいですね。

あと、石垣だけは子連れの方は絶対に気をつけて下さいね。