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原田二郎旧宅を見学し、財産を全て費やして原田積善会を設立した松阪市を代表する偉人と知る

松阪市の原田積善会の設立者である原田二郎の旧宅を見学してきたのでご紹介。

原田二郎旧宅は、松阪市の殿町同心町に残る江戸時代末期の武家屋敷です。

この建物は、明治から大正にかけての実業家であり、公益財団法人原田積善会を設立した原田二郎の生まれ育った家です。
平成22年には松阪市指定有形文化財(建造物)にも指定されています。

原田二郎とは

松阪市に生まれ、21歳の明治維新後に京都に上り、23歳に横浜市で洋学と医術を学びました。

その後は大蔵省に勤め、当時の給料は25円。
官僚ですか。エリートですね♪
生活は質素で10円を生活費、10円を実家への仕送り、5円を貯蓄していたそうです

調べてみると当時の給与所得者の年収平均でも160円ぐらいなので、年間300万と考えると高い水準やったんやな。
31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取になりました。
31歳で頭取って・・・すご。

その後、事業の中で損失をだして、頭取職を辞めることになり一部の損害を私財で払い、34歳で松阪市へ戻ってきました。

37歳で東京に居を移して療養生活を送り、57歳の時に、明治の元勲の井上馨(かおる)以来を受けて、会社が傾きかけていた大阪の鴻池(こうのいけ)家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に取り組みました。

ちなみに、元勲とは、「国につくした大きな勲功」「国のために大いに働いて功績をあげ、重んじられている老臣」のことを言います。

勲功とは、「国家・君主などに尽くした」、老臣とは、「年をとった家来」「身分の高い家来。重臣。家老。」のことです。。。

意味を掘り下げだすと無限になりそうなんでこの辺で。

その時の功労金や今までの財産を全て費やして、長年想いえがいていた公共の福祉寄与することを目的に公益財団法人原田積善会を設立したんです。
明治維新後の社会的な歪みや貧富格差の急激な拡大などを考え、それをなんとか解消したいという考えからだったそうです。
その後、10年間財団の代表として運営を行い、82歳で死去しました。

長年質素で、節約生活をしてきて財産を提供する、、、、絶対無理やん。
私事で、今は自分の生活にさえ必死なので、すごいな~って感想しか。
まさに偉人というのがふさわしい。

公益財団法人原田積善会とは

「天下の富は一家の私すべきものではない」という信念のもとに、公益財団法人原田積善会は原田二郎が大正9年(1920年)に全資産の1,020万を次ぎこんで設立した団体です。

1,020万って、現在の貨幣価値に換算すると150億円ぐらいなんだそうで、どうやってお金を貯めたかだけが気になる。
『積善』という言葉に意味があり、善行、、、つまり良い行ないを長い間つみ重ねることを言います。
良いことを積み重ねる・・・見習いたいな。想いだけ。
当時は国や地方公共団体にあっては社会福祉事業に対する制度は整備されておらず、予算規模も非常に小さかった。
そんな中で、社会福祉に関する助成金を出すなどの支援を継続して行っています。

今でも活動は続いており、、、貸借対照表の資産は合計は26億位円。
年々減っていますがそれでもこれだけあるんや。桁違い~。

現在も社会福祉事業の増進を初めとして、学芸技術の振興、文化事業の奨励及び国際相互理解の促進に寄与することを目的に、全国の多様な分野の事業、法人、NPOに助成・寄附をおこなっています

公益財団法人原田積善会から松阪への主な支援

昭和5年(1930年)
松阪町(当時)へ、小学校教育奨励金として10万円を寄付
この一部を利用して町内小学校の給食制度が整備される。

昭和11年(1936年)
済生会病院建築費として松阪支院へ1万円を寄付

昭和16年(1941年)
私立公会堂建設用地購入資金として松阪市へ38,162円30銭を寄付

昭和34年(1959年)
飯高町役場に台風災害に対する厚生資金を助成する。

平成19年(2007年)
「松阪市を花の街にする運動」に対し桜の植樹事業助成始まる。

平成22年(2010年)
原田二郎旧宅の修繕費・維持費に対して松阪市への一部助成始まる。

これもごく一部で、松阪だけでなく全国に支援を行っています。

原田二郎旧宅ってどこにあるの(アクセス)

原田二郎旧宅は、松阪城や御城番屋敷からすぐの殿町と呼ばれる地域にあります。
原田二郎旧宅には専用の駐車場もありますので、直接行っても良いですし、町中を歩いてまわる場合は無料の松阪市駐車場が便利です。
という訳で、各交通手段でのアクセスは下記の通りです。

車でのアクセス

直接原田二郎旧宅へ行く場合

昔ながらの城下町で、住宅地になっているので少し場所の説明が難しいです。
一番分かりやすいのがカーナビで「割烹旅館八千代」と検索して行くのをオススメします。

駐車場は、こちら。

割烹旅館八千代の隣になります。

あと、原田二郎旧宅の目の前の割烹旅館八千代の駐車場を利用する場合は必ずお店に声をかけてくださいね。


かなり広いですが、あくまでも割烹旅館八千代の駐車所ですのでご了承を

近隣の観光地を歩いてまわる場合

伊勢自動車道松阪インターを降り、そのまま直進していただくと商業施設パワーセンターが見えてきます。
その信号左折し、真っ直ぐ進むと桑名三重信用金庫川井町支店(川井町4交差点)を右折し、真っ直ぐ進み橋を渡った新松阪交差点を左折して、道なりに進むと右手に松阪市駐車場(松阪市民病院前)があるので駐車し、徒歩10分

公共交通機関でのアクセス

三重交通バス

近鉄・JR松阪駅のJR改札口側バスターミナルから「松阪中央病院行き」に乗り、「市役所前」下車して徒歩10分。
所要時間 約4分 大人:210円 小児:110円

市街地循環バス「鈴の音バス」

近鉄・JR松阪駅から左回りで「市役所前」下車して徒歩10分。
所要時間 約4分 小学生以上100円

徒歩でのアクセス

近鉄松阪駅、JR松阪駅より徒歩15分

原田二郎旧宅について基本的なこと

原田二郎旧宅の開館時間は9時~17時で入館は16時30分までです。
休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)となっています。
近隣にある旧長谷川治郎兵衛家や松阪商人の館(旧小津清左衛門家)、御城番屋敷の公開住宅、松阪市立歴史民俗博物館も同様に毎週月曜日は休館日なので、全て見ることができないという悲劇になってしまうことがあるので注意して下さいね。
あと、年末年始となっています。
入館料は・・・・

なんと無料です。

太っ腹すぎる。
公共福祉に寄与するという目的をもとにやってるからですかね。

名称 原田二郎旧宅
住所 三重県松阪市本町1290番地
電話番号 0598-23-1656
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館日 無料
サイト http://www.haradasekizenkai.or.jp/

原田二郎旧宅を見学(写真で案内)

原田二郎旧宅は、御城番屋敷はら徒歩2分ぐらいの程近い殿町の同心町にある武家屋敷です。

このあたりは江戸時代末期の紀州藩松阪領の町奉行所などにつとめる武士の家が並んでいて歩いているだけでも歴史を感じます。
地元民でもなかなか行かないところで知らないことがあるなぁ。
松阪工業もこの付近にあります。

公益財団法人原田積善会を設立した原田二郎の生まれ育った家で、建物と土地を原田積善会から寄付を受けた後、松阪市が修繕を行い2012年(平成24)年から一般公開されています。


当時のものではなく、修繕されたものでしょうけどめちゃくちゃ立派すぎる門があります。

門を入ると正面が玄関、左手が庭になっており、昔ながらの家のつくりが感じられます。
修繕するところは修繕してあり、残すところは残すという感じですね。


松阪市の景観重要建造物の指定第1号。

こちらが玄関横にある前六畳(居間)です。

左側の式台ってあるのは、来客が地面に降りることなくかごに乗れるように造られているそうです。

武家屋敷はこのような式台があるんです。

客間

床の間には、原田二郎書の掛け軸がかかってる。

「ますらをの真心こめて一筋に思ひいる矢のとほらざめや」
意味はちょっと分かりません。

嘉朝は原田二郎の雅号(文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のこと)

昔の家には縁側がある。

この文化が最近はないが、気づくのが早ければ自宅には絶対に縁側をほしいな。
ここで過ごすの気持ちよすぎる。

となりには五畳半の間があります。

普通の部屋です。

その横には6畳の食事場があります。

それにしても、和室が多すぎて同じような部屋でどのように使っていたんでしょうね。

これは凄いんじゃない。

学のない僕ですが、名前は知ってる。
大隈重信から寄贈された座布団です。
このようなキレイな状態で残っているんですね。

2畳の部屋。

使い道は分からんが狭いのも落ち着く。
ここから見える箱庭も良い。

以前の土間だったところに展示スペースがあります。

原田積善会設立許可証

松阪町からの感謝状

松阪町ってめちゃくちゃ不思議。

松阪市からの感謝状
大蔵省時代や横浜第74国立銀行頭取時代の貴重な写真
など、当時の貴重なものが残されています。

ここから階段で2階へ上がります。

写真を見て分かるとは思いますが、角度的にははしごに近いえげつない角度なんです。

改修されてしっかり手すりがついているので一歩一歩気をつけて上ってくださいね。
この辺が昔の家の雰囲気があり、なぜかアトラクション的に感じて楽しめます。

2階はもともと納戸だったんですが、34歳で松阪に帰ってきた時に書斎を増築したんです。
こちらが書斎。

落ち着いた雰囲気と真ん中の書斎机に歴史を感じます。
集中できそうな部屋ですね。

そして、この丸窓がめちゃくちゃオシャレ♪

凄い絵になるよ。

窓から見る庭の眺めが良い感じです。

凄く気持ちのいい風が入ってきます。
庭には東屋も見えます。

1階の土間におりてきました。
昔の家の作りって、玄関から真っ直ぐ土間で裏口に出れるようなレイアウトになっていますね。

天井は、昔のまま残っています。

黒くなった梁などが歴史を感じます。

これは何なんやろ。

今でいう食材なんかを洗うシンクなんかなと予想しています。
裏からみた原田二郎旧宅です。

結構、庭が広くって

松阪城堀跡が庭の一角にあります。

このあたりはその名残かなぁ。

松阪城ってお堀がどこやったのか分からなかったんですが、結構広い範囲になっているんやな。

途中には東屋もあり座って休憩することも出来ます。

生垣に囲まれているのもあって、まわり気にならんし~。

全貌を見ることができて立派な建物でした。

順路を歩いていくと庭から外に出て見学終了です。

ずーっと松阪と書いてきましたが、実際は明治22年(1889)の町制施行時に「松坂」から「松阪」に統一されました。以前は「松坂」やったことに驚き!!

まとめ

無料で見学が出来て、しっかり見ると凄くボリュームありました。
恥ずかしながら原田二郎さんのことをまったく知りませんでしたが、まさに偉人と呼べる素晴らしい人物でした。
自分が住んでいるところの文化を知ることって大切やと思います。
それにしてもやっぱり日本人は畳やなぁ。
凄く過ごしやすく、自宅よりホッとする家でした。
なんか空気が気持ちいい。